部活となると、とにかく休みなく、何の根拠もなくやる馬鹿顧問が多い。
例えば、今年の甲子園に出たある学校、深夜に及ぶ練習という非科学的かつ非効率的な練習をして全国に駒を進めた。
しかし、「他校に負けない」練習量を以てしても、全国制覇は出来なかった。
この学校は、量で代表権を勝ち取ったものの、量ではトップに立てないことを自ら証明したことになる。
例えば、今年の甲子園に出たある学校、深夜に及ぶ練習という非科学的かつ非効率的な練習をして全国に駒を進めた。
しかし、「他校に負けない」練習量を以てしても、全国制覇は出来なかった。
そりゃそうだ
疲れちゃうもんね…。この学校は、量で代表権を勝ち取ったものの、量ではトップに立てないことを自ら証明したことになる。
さて、先日受講した講習会では、ランニング(走り込み)の話が出た。
中国と言えばバドミントンの世界ではもちろんトップクラスである。
その中国は一週間でどのくらいの走り込みをしているか?
中国と言えばバドミントンの世界ではもちろんトップクラスである。
その中国は一週間でどのくらいの走り込みをしているか?
答えは…一週間で2~3kmである。しかも週1回のみ。
3kmってのは一週間のトータルである。
少なすぎる、と日本の指導者は思うだろう。そこがダメなのが日本の指導者。
今まで自分がやってきたことを信奉してしまっているがために、そこから抜け出すことが出来ない。
気づいたら単なる時代遅れになっている。こうやって日本のスポーツはダメになっていった。
恐らく錦織圭だって、日本で部活をやっていたら今の活躍は無い。
3kmってのは一週間のトータルである。
少なすぎる、と日本の指導者は思うだろう。そこがダメなのが日本の指導者。
今まで自分がやってきたことを信奉してしまっているがために、そこから抜け出すことが出来ない。
気づいたら単なる時代遅れになっている。こうやって日本のスポーツはダメになっていった。
恐らく錦織圭だって、日本で部活をやっていたら今の活躍は無い。
この走り込みの話を、若い部活動だけ教員に話をしてみたら、興味は示した。
しかし二言目には「それはある程度力がある人たちの話ですよね?」だって。
要は拒否反応である。彼もまた、自分のやってきたことから脱却できない。
しかし二言目には「それはある程度力がある人たちの話ですよね?」だって。
要は拒否反応である。彼もまた、自分のやってきたことから脱却できない。
若い部活だけ教員に言いたいのは、あなたがそれなりの成果を出してきたのは認めよう。
しかしそれは万人に対応しきれているのか?ということ。
あなたの仲間はみんなその方法で上達したのか?と。
もしそうでないならば、指導法をしっかりと科学的に勉強すべきだろう。
しかしそれは万人に対応しきれているのか?ということ。
あなたの仲間はみんなその方法で上達したのか?と。
もしそうでないならば、指導法をしっかりと科学的に勉強すべきだろう。
量をこなしたから上手くなった、それはそれで構わん。
でも俺は問いたい「量で上手くなる根拠は?」と。
もし、それに辟易して辞める部員が出たとしたら、それはあなたの勉強不足の責任だ。
運動や芸術分野をその子どもは生涯にわたって趣味に出来たかも知れない可能性をあなたはツブしたのだ。
でも俺は問いたい「量で上手くなる根拠は?」と。
もし、それに辟易して辞める部員が出たとしたら、それはあなたの勉強不足の責任だ。
運動や芸術分野をその子どもは生涯にわたって趣味に出来たかも知れない可能性をあなたはツブしたのだ。
根拠のない指導をする部活動だけ教員は罪人であると私は思う。