だからね、学校で行われている、部活だけ教員によって「乗っ取られている」運動部活動は、このブログで何度も主張しているように「スポーツ」ではないのです。
本当に軍事訓練だし、タダで行われている似非アスリート養成なのです。
本当に軍事訓練だし、タダで行われている似非アスリート養成なのです。
私が思うに、引退と同時に
それは上述したように、スポーツは「気晴らし」だから。
「もう二度と○○をやりたくない!!」
って思われたら、指導者の負けです。負けじゃないな、指導者としての資質が疑われると思っています。それは上述したように、スポーツは「気晴らし」だから。
もちろん、指導者を見て子どもが「このようになりたい」と思えばもっと深く知る必要がありますから別途の指導が必要でしょう。
また、「もっと上達したい」と思えば、これまた別の指導を必要とするでしょう。
また、「もっと上達したい」と思えば、これまた別の指導を必要とするでしょう。
しかし学校現場において、全ての子どもにそのようなトップを狙うような指導が必要でしょうか?
全ての人がストイックな練習を必要としているでしょうか?
もちろん答えはNOです。
全ての人がストイックな練習を必要としているでしょうか?
もちろん答えはNOです。
全ての人が指導者になるわけでも、選手になるわけでもありません。
多くは「○○が上手いただの人」になるのです。
多くは「○○が上手いただの人」になるのです。
学校部活動が必要なのだとしたら、それは生徒の自主性や協調性を育むことであり、顧問・監督が1から10まで指示と言う名の命令を下して、アホみたいに練習をさせることではありません。これではタダのYESマンを作るだけ。ブラック企業戦士の養成に他なりません。
趣味の世界、楽しみの世界、そして何よりも生徒の自主的活動である部活動を自分の意のままに動かそうとするならば、それは部活だけ教員が支配欲でもって土足で生徒の世界に上がり込むのと同じことです。
趣味の世界、楽しみの世界、そして何よりも生徒の自主的活動である部活動を自分の意のままに動かそうとするならば、それは部活だけ教員が支配欲でもって土足で生徒の世界に上がり込むのと同じことです。
基本的に部活動は外部に持っていくのが理想です。
でも現実として無理なら、こんなことを念頭に指導するしかないのかな、なんて思います。
でも現実として無理なら、こんなことを念頭に指導するしかないのかな、なんて思います。
これは運動部に限らず文化部も同じですね。