新聞の書評欄で見かけた『補欠廃止論(ポプラ新書)』、著者はサッカー解説者としておなじみのゼルジオ越後氏である。
帯には「補欠制度がスポーツをダメにする!」とある。
私もダメにするかは別として、補欠制度は百害あって一利なしだと思っている。
それについてはこのブログでも書いた。
帯には「補欠制度がスポーツをダメにする!」とある。
私もダメにするかは別として、補欠制度は百害あって一利なしだと思っている。
それについてはこのブログでも書いた。
あまり詳細を書くと単なる「ネタバレブログ」になってしまうので、ポイントを絞る。
5章立てになっていて、第3章が『「部活動」と「スポーツ」は切り離さなければならない』。
まさにこのブログにぴったりの内容である。
5章立てになっていて、第3章が『「部活動」と「スポーツ」は切り離さなければならない』。
まさにこのブログにぴったりの内容である。
戦時中に「体育」=「スポーツ」という図式が出来上がり、根付いてしまったこと。
(適度な)スポーツは勉強の妨げになる、という扱い。
部活動は「学童保育」の延長線上にあるという認識。また更生の役割を果たすという誤った認識。
さらに学童保育の役割なら部活でなくてもいいのに、進学など(=調査書)のためにイヤイヤ続けているという事実。
教師は過剰労働なのに、オフにすると生徒は喜ぶという皮肉。
長期休業において、プロのようにメニューをやっているのに上手くならなかったら「よほど教えるセンスがない。」
などなど。(適度な)スポーツは勉強の妨げになる、という扱い。
部活動は「学童保育」の延長線上にあるという認識。また更生の役割を果たすという誤った認識。
さらに学童保育の役割なら部活でなくてもいいのに、進学など(=調査書)のためにイヤイヤ続けているという事実。
教師は過剰労働なのに、オフにすると生徒は喜ぶという皮肉。
長期休業において、プロのようにメニューをやっているのに上手くならなかったら「よほど教えるセンスがない。」
このブログを読んで頂いている皆さんが共感するような内容でした。